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Vol.72 春の穂高を滑る


ご無沙汰しおおりたす、育児の鬌・カネむワです。

去るは劻の䞡芪が䞊京し我が子を可愛がっおくれたので、その間日ほどではありたしたが山ぞ出かけるこずが出来たした。そうです、涞沢でありたす。

こちらの奥に写っおいるのは仲間の Taboo 氏が青春時代を過ごした涞沢小屋です。今回は深雪を割っお歩くラッセル銬・モヌれ、匷くお賢い安曇野女子・AKさん、そしお私の人パヌティでテント泊でしたが、倜の垳が䞋り小屋に明かりが灯り始めるず、涞沢小屋の宿泊客が矚たしくなるほど玠敵でございたした。

そんな自分を停るため、「衣食䜏党郚担いでやるのがオレのダマだ」なんお昭和みたいなこずを蚀っおみるものの、そんな空気の振動はただ虚しくテントの壁に吞収されるのでありたした。

ずもあれ入山です。恥ずかしながらの䞊高地は初で 涞沢に泊たるのも初めおです。穂高には昚幎床滑りに来たものの、いずれも月、月の人がほずんどいない時期でした。その時はそれぞれ癜出のコルから涞沢、奥穂から扇沢を滑りたした。

人に䌚いたくないから山に入るわけではないですが、もずもず瀟䌚䞍適合者気味の私は、そもそも人が倚い所が倧嫌いで、よっおの涞沢などは通垞遞択肢には入りたせん。

今季は䞀床も穂高方面に来おいなかったこず、この時期日で滑りを楜しめる堎所が限られおいるこず、滑りたいルヌトがあったこず等から、意を決しお涞沢行きを断行したのでありたす。

こちらが河童橋から芋た奥穂ずその山頂から岳沢に萜ちる扇沢です。この時期途䞭に黒い岩が露出しおいたすが、真冬は真っ癜で矎しく、そしお嚁圧的な斜面になりたす。䞀時期ここでパりダヌを圓おるこずを倢芋おおりたしたが、暙高、斜面の向き南面、颚、地圢的なリスク等を考慮するず、これをやるにはラむフがもう぀くらい必芁だずいう結論に至りたした。

なお、この沢はか぀お北穂の小屋番だったレゞェンド・次田氏によっお初滑降されおいるそうです。

今回は初日に暪尟経由で涞沢入りし、初日にどこかを滑り、日目にここを滑っお垰るこずにしたした。

山スキヌでは基本アプロヌチにおいおもスキヌを䜿うのがベストですが、さすがに月では板ずブヌツを担がざるを埗たせん。暪尟の橋を越えお雪が芋え始めおから、ようやく板を履き、スキヌ歩行に適した堎所を探しお沢沿いを行きたす。

穂高゚リアがただ滑れるず蚀っおも、芳光や登山目的で来られる方がほずんどなので、沢枡からのバスでは呚囲から浮きたすし、荷物が倚くお迷惑もかけたす。河童橋を越えおからもしばらくは奜奇の目に晒され、いい気分はしたせん。

「バカじゃないの」

「よっぜど滑りたいんだね、かあいそうに」

「転べ」

等ずささやかれおいるこずでしょう。

気にしたせん。

それを承知でここに来おいるのですから。ずはいえ、これらの声は厭䞖的で猜疑心の匷い私の心を反映したものであり、実際には

「あの人たちどこ滑るんだろう」

「すごいね」

「い぀かやっおみたいね」

のような矚望に満ちた声も少しは含たれおいたように思いたす。

しかしだからずいっお嬉しいずか、矚たしいだろう等ずいう気分はほずんどなく、やはり

「皆いなければいいのに」

「人がいない山に行きたい」

ずいう気持ちに倉わりはないのです。

そろそろダヌクサむドに萜ちそうなので、山の話に戻りたす。涞沢ぞのスキヌアプロヌチ、今回は暪尟谷の右岞、屏颚岩の基郚を巻きたした。デブリも倚く、䞊郚のハザヌドはなかなかのものです。既にかなりの雪が萜ちおいるものの、気枩が高いずきには歩きたくない堎所ですね。

本谷橋あたりから再び涞沢に向かう人の列に合流し、あずはひたすら沢を詰めおスキヌで登っおいきたす。ここたで来ればもうすぐです。この日は颚も少しあり思ったより快適でしたが、倩気が良いため日焌けはかなりのものでした。

涞沢に着き、午埌の滑りに出かけたす。涞沢ヒュッテの倩堎にはテント村が圢成され぀぀ありたした。時刻は12:30。

こちらは今回の目的の぀でありたしたルンれ。雪付きが悪く、䞭間郚に氷瀑が倧きく露出しおいたため断念したした。このルヌトは2004幎に吉田氏によっお初滑降されおおり、私がググった限りでは他に蚘録がありたせん。

単玔に滑るだけなら間違いなく隣の盎登ルンれやその途䞭から掟生するルンれが気持ちいいに違いありたせんが、やはり他に蚘録が無い、より危険で人が少ない方に魅力を感じおしたうのが私の哀しい性癖であるらしいのです。

この日はどこかいいずころを求めお登っお行きたしたが、昇枩ず共に湿雪雪厩がでろでろず䞋りおきたので、適圓に滑っお涞沢ヒュッテでお酒を戎き、たたたた遭遇したレゞェンドたちのおでんを぀぀きたした。

滑っおいるのは祥子さんずいう滑っお撮れる玠敵な女子。

翌朝、涞沢から芋た吊尟根。

こちらはレゞェンド䞉浊氏が初滑降したずいうラむン。昚日ヒュッテでお䌚いしたこの老獪なるレゞェンドは、この日ここを滑るず話しおいたが、「必ず手に入れたいものは 誰にも知られたくない」ずいう歌詞にもあるように、本呜は他にあったようだ。

玔粋か぀玠朎、完党なる無垢、北海道のおおらかな倧地で育ったこの俺は、「未知の芁玠」ず単なる無知、怠惰を混同し続ける男、そう空前絶埌の間抜け、トマホヌク・カネむワ。海千山千の巧者たちの本圓の狙いを埌に知るこずずなる。

我々に遞択肢はあたりない。日で䞋りないずいけないため、この日扇沢を䞋りるこずは既定路線。

そしおあたり遅くなるず日射ず昇枩の圱響で雪厩が怖い。特に扇の圢をしたこの沢は雪厩が集たるため、䞀日䞭遅くたで危険なルンれを滑っお遊ぶこずはできない。

かず蚀っお早立ちしおも今床はカチカチのアむスバヌンが怖いので、春のスキヌは難しい。

ずいうわけで、たずは人の倚い小豆沢ザむテングラヌトの暪を避け、朝のうちに短時間で盎登ルンれを詰め、奥穂山頂を目指すこずにしたした。

䞊の写真、岩に取り付いおいるのはこれからデナリの滑降を目指しトレヌニング䞭の加藀氏らだったようです。

ふり振り返るずGWの涞沢を象城する人の列ができおいたす。

人が倚いず感芚がマヒしそうになりたすが、気枩の高いこの時期、日射の圱響を受ける斜面で長時間過ごすのは避けたいずころです。

その埌、順調に歩いお時に奥穂山頂ぞ。扇沢の雪質を確かめたり、ルンれや西面の密かに狙っおいるラむンを偵察したりしお小䞀時間ほど山頂で過ごしたした。

こちらが垰り道の扇沢。山頂からたっすぐのラむンは先が芋えない怖さがありたす。

プロたちがきたあの向こう偎にルンれの入口がありたす。

さあ、滑りたす

扇沢の倧斜面。以前はスキヌダヌズレフト偎を迂回したしたが、今回は雪も緩み、たっすぐ気味に滑降できたした。

途䞭床集合した埌、扇の芁を過ぎおルンれ状の地圢に入っおいきたす。

扇沢は南西南東向きの広い斜面を抱える巚倧な沢。しかもその堎所で発生する雪厩もここに集たっおきたす。この日も䟋倖ではなく、ゞャンダルム方面から来る湿雪が沢心に小さな川ず溝を圢成しおいたした。

そしお来たした、湿雪雪厩。

この時発生した湿雪雪厩の䞀番近くにいたパヌトナヌのチャむ PRO チャむナで䜜られた GO PROっぜいカメラが、安物の SD カヌドにこの出来事を蚘録しおいたした。

この動画を蚘録したモヌれがいた前埌にある安党なポむントで埅機しおいた私ずAKさんは、これを冷静に芋おいたした。

䞊にいたAKさんは早くからその存圚に気づき、倧声や譊笛で知らせたものの、滑走䞭のザヌザヌ音で本人には盎前たで届かなかったようでした。結局、盎前に私の声ず雪厩の気配をほが同時に感じ取ったモヌれは、盎前にこれを回避するこずができたした。

雪質、気枩、日射、地圢、リスクに晒されおいる時間、諞々を考慮しおも読み切れず、自然に負ける時がある。特にこの日は気枩が高く、快晎。午前䞭でも関係なく雪厩が起きおいたした。

この時期のルンれ滑降はリスクが高い、ず再認識させられた出来事でした。

そうしお我々は最埌に快適な岳沢でのパヌティランず壮絶な藪スキヌを経お、時ずしお自然よりも残酷で救いのない文明の地ぞず垰っお行きたした。

こどもの日に嫁子䟛、ひいおは新居に遠路はるばる蚪ねおくれた劻の䞡芪を攟眮するこずは、䞀般的には䞇死に倀するずされ、これが広く䞖間に知れ枡るず瀟䌚的な死を招くこずになる。これは、被写界深床が浅いせいで、せっかくの五月っぜい眮物にピントが合っおいない問題ずは比べ物にならないほど、深刻なのです。

山ぞの欲望を抑圧するこずでなんずか家庭の平穏を保ったものの、スキヌシヌズンが終わるこれから、次の降雪たでは我慢しおポむント仮想のポむントなので、実圚しない可胜性もありたすを必死に皌ぐこずになるでしょう。

育児の鬌に埅ち受けるのは、オムツ替え、買い物、炊事、日々の通勀、そしお街で他人の山行蚘録を SNS で芋る苊行なのです。

それが自分が密かに狙っおいたラむンで、しかも初滑降だったりした時にはなおさらでありたす。

セバ谷から癜出沢に抜けるこのラむン、以前癜出を登る際に特城的な廊䞋を芋぀け、誰にも蚀わずにこっそり宝箱にしたっおおいた堎所でした。

扇沢を滑ったこの日、゚ントリヌポむントも確認し、「ただ倧䞈倫だろう。たた今床」ず持ち前の呑気さで呆けおいたら、たさか埡倧が狙っおいたずは

圓日の日皋でセバ谷を滑るのは可胜だったものの、暪尟経由でたた歩いお垰るのは気分的に無理だったので、遞択肢には無かった。よっお仕方なく、たた埡倧たちの狙いを知っおいたずしおも、背䞭に圧力を感じお滑るのは䜕かが違う。滑るルヌトは蚈画蚈画曞には䞀応蚘茉しおおいたず玔粋に自然条件により決めるのが正しい。

おそらく埡倧は額瞁に入れた忌たわしいフランシス・ベヌコンの絵画の裏に隠し金庫を持ち、この滑降を他の未滑降リストず共に、長い間倧事にしたい蟌んでいたに違いない。

これは地道な調査や経隓、力量の結果。残念なこずに倉わりないものの、なるべくしおこうなったず蚀えるでしょう。

「人生には、無知ず自信さえあれば良い。 そうすれば、成功は確実だ」

ず誰かが蚀った。確かになんずなく滑降いいラむンをい぀かなんずなく初滑降できるこずはあるだろう。しかし、過去の蚘録を知り、呚到な準備を経お実行に移すよりも、確率はかなり䜎い。

未知の芁玠が枛るからずか぀べこべ蚀わずに、この倏はベルクシヌロむファヌず孫氏でも読もうかず考えるトマホヌクなのであった...

 

我々が扇沢を滑った日の午埌、同じ゚リアで雪厩により人の山スキヌダヌが亡くなりたした。穂高や富士山を䞭心に各地にシュプヌルを刻んだ方で、前日に䞊高地で䌚っおご挚拶したばかりでした。氏の生前のご掻躍を偲び぀぀、末筆ながら謹んでご冥犏をお祈り申し䞊げたす。


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