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Vol 24 Mt ワディントンの反省点、改善点。


ご無沙汰してます。谷です。

さて長期登山のワディントンから帰ってきて2週間が経ち、

アルパインガイドの仕事も始まりました。先週末はコロンビア大氷原にて氷河のテクニックの講習会のインストラクターとしてアサバスカ山をガイディングしてきました。

今年はカナディアンロッキーの氷河の雪解けも早くこの夏は忙しくなりそうです。

忙しくなると今回の山行を振り返る時間がなくなるので、記憶がはっきりしているうちに

反省点等を書き留めたいと思います。自分のためにも、次に行く方のためにも。

というわけで、今回はロッキー登頂シリーズはお休みです。

この系は雑誌でも取り上げられない(結構マニアックだから)

のでブログにて補完したいとおもいます。

今回は長くなりそうなので、読むの大変そうだと思う方、登頂系の話を待ってたかたには申し訳ないです。でははじまりはじまりー。

まず結果からいうと、今回の登山は失敗に終わったと言っても過言ではないです。当初の目標サーキット(ベースキャンプからワディントンを経由し馬蹄形に戻ってくる)を達成できておらず、正直、自分自身やり切った感はないのが実情です。

この見えているすべて山々のスカイラインを左から右に一筆書きするのが今回の目的でした。

向かって左、ワディントンは大きな氷河の山、そしてコルを挟み右手は花崗岩の岩塔郡が連なります。しかしできず…

なぜそういうことになったか反省するべき点、そしてそれは改善できることだったのか、自戒の念を込めて今一度考えてみようと思います。

あげれば限がないですが。

事前準備。

一つ目、情報。

コーストマウンテンについてもっと調べれていたかどうか?

日本人の登頂記録がないこのMtワディントン(ヘリのパイロット曰く2回、日本人の団体を運んでいるのでその方々が登っていると思いますが)。

自分たちがどういうことが出来るかがいまいちわかりませんでした。(登り、滑り含め)

このエリアのガイドブックもありましたし、グーグルアースなどで地形は把握しているつもりでしたが、やはりわかっていない部分が多々あり、時間を有効に使えていたか疑問。

特にメンバーである全員が山域やルートについて同じレベルの理解度がなかったのは問題だったと思います。

コンサートに行ってその人の最新アルバムを持っているない人は楽しめないですよね。『これ何の曲?』みたいな。

曲を知っていたら、一緒に歌えてより楽しむことが出来る。これはどこに行くにも重要なことです。

また記録についても、もっと調べておくべきだったと痛感してます。未登の壁なのか?それとも登られているのか?今はアメリカン、アルパイン、ジャーナルのウェブサイトやアルピニストのサイトで世界の第一線の登攀はほとんど調べれます(特にAAJ)

実は今回の登った新しいラインは僕たちは2002年のガイドブックとカナダ人の知り合いの情報しかなかったので壁自体未登かもしれないなと思っていました。

でも案の定、下山後調べると2010年に登られており、初登者が登ったラインにも相当近く、いい登りではありましたが、発表するほどではないかもしれないと悩むレベルでした。

スカウティングと呼ばれるこの作業、とても重要です。そしてこの作業の前にやはりその他のルートのことも頭に入れておく必要があります。

二つ目 食料

これに関しても問題が多々あったと思います。

まず、例えば同じメニューが100食分あったこと。これは味が違っても飽きます。もっと違うバラエティに富んだ行動食や食事を用意すべきでした。

嗜好品に関しても同じことが言え、もっと事前に各々の好みや食事の量などすり合わせが必要だったと痛感しています。甘いものが好き、コーヒーが好き等。

全体量にも問題があり、計画で持っていったものだけでは24日間程度でなくなっていたかもしれません。やはりもっと余りが出るように計算すべきでした。ヘリポートに行くまでに色々な形で臨時の食料があったので何とかなったという形です。

もしもっと天気が悪く、ヘリコプターが飛べなかったら、もっとハードなクライミングを日程の最後にすることになっていたかと思うとダメダメでしたね。

こんなふうに楽しめる食事だけではなかった。

長期登山だと生活力がかなりの重要な部分を占めます。

そういう意味では、今回長期登山の生活経験がないものがいたというのはかなりの問題で

3月、4月中にもっと泊まるだけの準備山行をしなければいけませんでした。

(日本だと冬の黒部横断、日高縦走などで経験できる)

またアラスカ、デナリなら同じ長期テント泊でも沢山のクライマーがいて何か壊れたり足りなくてもなんとかなるものですが、ここは一番近い高速から約100㎞離れていて基本五月は誰もこない山域です。もしひとつの装備が壊れるだけで大きな問題になってしまいます。

補給というものが一切出来ないという点、もっとしっかり考えておくべきだったでしょう。

またベースキャンプでも装備、道具、過ごし方についても個々が計画になかったものを持ってきていたので何とかなった部分は多々あります。一か月ジェットボイルで煮炊きは厳しい部分もあるでしょう。

生活しかり、氷河登高しかり、ルートや山域の情報しかり、クライミング能力ではなく総合力というものが残念ながら全員が低かったように感じます。

とにかくワディントンに来てから学ぶことが多く、登りに集中できなかったのはサーキットをできなかった大きな理由です。

これらが最初から同じ足並みであれば、結果は違っていたかもしれません。

そして三つめ、自分自身の準備

自分たちの心身が準備で来ていたかどうか?

体力、クライミング能力、精神、ワディントンと自分がちゃんと向き合えていたかどうか?

個人のトレーニングは出来ていたかどうか?

自分自身もそうですが、間違いなく、準備不足。

今回二つの怪我により目的を完遂することはできませんでした。

しかし、それをもし運が悪かった、たまたまそうなってしまった、と思っていたり、

記憶が風化するようであれば、次の登山はないでしょう。

というより、次は怪我ではすまないかもしれません。

写真だけみるとなんかいい感じですが、氷河登高や生活など個々でスキートラバースをするなどで事前トレーニングする方法はあったはず。

事前準備の考だけまとめると、

まず確実に言えること事前山行(プレ)が出来なかったことに挙げれます。

3人が別の国に住んでいるというのは非常に難しい問題であり、出来なかったのは仕方ないという話もありますが、少し前に事前に入国してもらいプレ山行をするべきでした。

それにより、装備や食事、情報などの共通のスタンダードが生まれ、その基準にみんな到達するようにわずか一週間でも努力できたはず。

また事実上のリーダーが不在であったこと。昨今日本では言われていますが、怒ることが出来ない人が増えた。やはり注意すべきことを注意できない。これでは数日の山行ならいいですが、一か月では問題になってきます。一番は成長できないということ。自分の物差しではなく、チームの物差し、ゴールを基準として、やはり足りないものを補うために討論をもっとしなければいけなかったと思います。

あとは初見(オンサイト)であったこと。これはどうしようもないですが…

どんな素晴らしい登山も何度もその地に通い、その山に通い成し遂げられています。すごいクライマーが初めていってすごい登りしちゃったなんてことは先人の情報があるからこそ(ホノルドがいきなりパタゴニアに行って結果を出せるのはトミーというパートナーがいて、そしてその上にはロロが何十年もそこに暮らし通った情報があるうえに成り立っているわけです)後輩はその経験の上、初登頂、初登攀が出来るわけです。なので山岳会や同人などクラブになどに入っているということは素晴らしいことですね。僕は入っていませんが…

最後にビザの問題や、外国人労働者の仕事の問題など挙げればきりがないですが、

それにより集中できなかったのも確かです。

海外に永住権を持たない一時滞在者が生活をしながらこのような長期登山は、非常に難しく

常にストレスを抱え、資金や装備等に苦労しなければいけなかったのも事実です。

(正直日本に居た方が何倍もスムーズに行え、サポートしていただける方々への報告や挨拶なども行えます。)

その不安定な海外生活の中で今回無事三人、登頂できたことは、沢山の方々、メーカーのサポートがなければ不可能だったと思います。ありがとうございました。

今読み返すと、うんざりしますねこの文。まだまだあるけど準備の考だけでもういいかなと思ってしまうレベル。

次はよかった点のレビューにしようかな…。でも装備品の問題点も書かないとだし…。

でもあと何年かして見返す時、そして次世代が、長期海外登山に行くとき、何かの役に立てば幸いです。

では。


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